不思議なことですが・・・

 

「ほどき手」で「無作為」を習得すると、

「芸術」というものが、何か、神懸りになります。
これまで、生み出そう、生み出そう、と苦心してきたものを超越して、

「生まれ出る」ものになるのです。

世阿弥の『花伝書』に、

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   あかちゃんが手をたたく。その無作為の行為を大人が真似ようと

   思っても、うまくいくものではない。
   すでに身につけてしまった経験・技術・処世術が、「無心」という

   ものの邪魔になるからだ
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という内容のことが書いてありました。

 

美しさは、日本の中では、

「飾り立てたもの」「ごてごてしたもの」「技術が見えるもの」

というよりは、それを超えたところにある、と感じられています。

芸術には、土台となる技術が必要です。
でも、ぼくは、それを超えた「無心」の域にこそ、芸術たる所以があるのではないかと思うのです。

バイオリニストも、フルート奏者も、大工さんも、左官屋さんも、技術を超えたところに、「無心」があり、「抜く技術」となってもいるのでしょう。

私の場合の表現方法は、「絵」でした。

デッサンも、数限りなくやってきました。「似顔絵」も得意です。
同時に、「無作為画」も得意としています。

そして、この「無作為画」にこそ、「ほどき手」が生きているのです。

「あなたの本質を表す 顔絵」 ☆例☆
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの現在・未来を表す 無作為画」 ☆例☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                          

 

                           *「似顔絵」「無作為画」は、どちらも販売しています。

                              ライブの場合、お値段は、「お心」を封筒に入れていただいています。

                              商品のラインナップは、こちらをご覧ください。

 

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