合氣道 幸魂塾
あいきどう さちみたまじゅく


不思議なことですが・・・
「ほどき手」で「無作為」を習得すると、
「芸術」というものが、何か、神懸りになります。
これまで、生み出そう、生み出そう、と苦心してきたものを超越して、
「生まれ出る」ものになるのです。
世阿弥の『花伝書』に、
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あかちゃんが手をたたく。その無作為の行為を大人が真似ようと
思っても、うまくいくものではない。
すでに身につけてしまった経験・技術・処世術が、「無心」という
ものの邪魔になるからだ
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という内容のことが書いてありました。
美しさは、日本の中では、
「飾り立てたもの」「ごてごてしたもの」「技術が見えるもの」
というよりは、それを超えたところにある、と感じられています。
芸術には、土台となる技術が必要です。
でも、ぼくは、それを超えた「無心」の域にこそ、芸術たる所以があるのではないかと思うのです。
バイオリニストも、フルート奏者も、大工さんも、左官屋さんも、技術を超えたところに、「無心」があり、「抜く技術」となってもいるのでしょう。
私の場合の表現方法は、「絵」でした。
デッサンも、数限りなくやってきました。「似顔絵」も得意です。
同時に、「無作為画」も得意としています。
そして、この「無作為画」にこそ、「ほどき手」が生きているのです。

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